野ざらし日記

編緝出版×農藝全般「あらたま⦿農藝舎」主人・根津耕昌のblogです。

東京電力福島第一原発事故由来の放射能汚染の実態に関する報道記事まとめ

 これは、東京電力福島第一原発事故由来の放射能汚染の実態等に関して報道された記事を、私がTwitter上で引用したもののまとめです。元記事は既に削除されている場合がありますのでご了承下さい。抜け落ちている文献、新たなニュースも随時追記していきます。

2015

被ばく死 最悪1.8万人 原発攻撃被害 84年に極秘研究「国内の原発が戦争やテロなどで攻撃を受けた場合の被害予測を、外務省が1984年、極秘に研究していたことが分かった。原子炉格納容器が破壊され、大量の放射性物質が漏れ出した場合、最悪のシナリオとして急性被ばくで一万八千人が亡くなり、原発の約八十六キロ圏が居住不能になると試算していた。研究では東京電力福島第一原発事故と同じ全電源喪失も想定していたが、反原発運動が広がることを懸念し公表されなかった。」東京新聞 2015/04/08 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015040802000140.html

カナダ海岸で検出 福島第一原発セシウムか「東京電力福島第一原子力発電所の事故で海に放出されたとみられる放射性物質セシウム134が、カナダの西海岸で検出されたとアメリカの研究所が発表しました」NHKニュース 2015/04/07 http://nhk.jp/N4Ie4DCh

監視装置故障か 線量が大幅上昇 福島30カ所「少なくとも計4カ所で今回数値が大きく上昇。南相馬市の1カ所では6日夜から数値が乱高下し、7日未明に最高で毎時9.834マイクロシーベルトを測定した。」河北新報 2015/04/08 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201504/20150408_63027.html

福島第1原発、「核燃料ほぼ全て溶融」 東電が1号機透視「東京電力は19日、福島第1原子力発電所1号機の原子炉内部を…透視した結果、圧力容器の本来あるべき場所に核燃料が確認できなかったと発表した」日経新聞 2015/03/19 http://s.nikkei.com/1GtIrMp

ストロンチウム含む“汚染された雨水400t”が地中に「福島第一原発で10日朝、放射性物質を含む汚染水を保管しているタンクエリア近くの側溝で水位が低下しているのが確認されました。東京電力は、側溝にたまった水が地中に染み込んだとみています。たまった水には1リットルあたり100ベクレルを超えるストロンチウムが含まれていて、約400tの汚染された雨水が地中に染み込んだとみられています」テレビ朝日 2015/03/10 http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000046043.html

汚染水で港湾内濃度上昇か=4億ベクレル流出と評価-東電東電は22日に流出したベータ線を出す放射性物質の総量を約4億ベクレルと評価したが、流出の影響については「見解を申し上げられる段階にない」と述べた」時事通信 2015/03/04 http://t.co/KuLk98mceA

福島第一汚染水垂れ流し 漁連「信頼崩れた」「福島県漁業協同組合連合会は25日…東京電力福島第一原発2号機の原子炉建屋屋上から汚染雨水が排水路を通じて外洋に流出していた問題について、東電と国から説明を受けた。…出席者からは…怒りの声が相次いだ」東京新聞 2015/02/25 http://t.co/vJT3MbSe9M

汚染水流出、水産庁「遺憾」…東電呼び緊急調査「東京電力福島第一原発で汚染された雨水が外洋に流出していた問題で、水産庁は25日…福島県沖の水産物への影響を最小限に抑える対策を講じ、今後、同様の事態が発生した場合、速やかに公表することなどを求めた」読売新聞 2015/02/25 http://t.co/2jbW22EKEx

放射能濃度50倍以上に=2号機海側の汚染地下水―福島第1「12日、福島第1原発2号機海側の観測用井戸で採取した地下水の放射性物質濃度が、前回8日と比較して50倍以上に上昇…最高値を更新した」時事通信 2015/01/12 http://t.co/kL9O3iT0Lb

2014

東京電力福島第一原発事故によっておこった放射能汚染。今も汚染が続く地域に暮らす子どもたちの甲状腺異常を追ったドキュメンタリー映画『A2-B-C』予告編 Japan Theatrical Trailer 2014

東京電力は18日までに、福島第1原発2号機東側の港湾近くに設置した観測用井戸で16日に採取した地下水から、1リットル当たり26万4000Bqのセシウムが検出されたと発表…地下水のセシウム濃度で過去最高値」時事通信 2014/10/18 http://t.co/w6Xw7nsWhi

基準値超の放射線量 一部立ち入り禁止に「千葉県は26日、柏市の県立柏の葉公園で、国の基準値を上回る空間放射線量が検出されたと発表した。県は安全確保のため、基準値を超えた園内4カ所周辺を立ち入り禁止とした」千葉日報 2014/09/26 http://t.co/FC5JBfRVAL

海流出、さらに2兆ベクレル東京電力福島第1原発から放射性物質が海に流出している問題で、今年5月までの10カ月間に第1原発の港湾内に出たSr90とCs137が計約2兆Bqに上る可能性が高いことが7日、東電の資料などで分かった」時事通信? 2014/09/07 http://t.co/UNaTG8y3cx

福島県で増え続ける震災自殺「内閣府自殺対策推進室によると、本県で東日本大震災に関連する自殺者と認定された人は統計を開始した2011年6月から今年7月までに56人。宮城県37人、岩手県30人」福島民友新聞 2014/8/27 http://t.co/4EEKFEiDKU

福島第一原子力発電所の周辺で、遺伝子レベルで突然変異が起こった植物や動物が見つかった。「研究者たちは、チェルノブイリと福島での事故による生物学的影響は似ているとの見解を示している。」ロシアの声 2014/8/16 http://t.co/7xWcCjqotx

福島第1原発で、作業前に倒れた男性が死亡した。死亡したのは60代の作業員で、8日午前8時前、正門近くにある事務棟の外で倒れているのが見つかり、その後、死亡が確認された。」 福島テレビ 2014/08/08 http://t.co/yiXNjCl6CI

福島の鼻血「内部被ばくか」 神戸の医師、学会で発表「郷地所長によると、福島からの避難者の2人に1人ほどが家族などの鼻血を体験している。突然出血し、普段あまり鼻血を出さなかった子どもが多いのが特徴。避難後はほとんどの症状が治まっているという」神戸新聞 2014/07/14 http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201407/0007142183.shtml

東京電力福島第1原発で昨年8月のがれき撤去時に放射性物質が飛散し、20キロ以上離れた福島県南相馬市の水田を汚染した可能性がある問題で、東電は…同原発からの放射性セシウムの総放出量を最大4兆ベクレルと試算していた」毎日新聞2014/07/14 http://t.co/UTL90WjwOM

最大8億ベクレルの可能性 2013年8月漏えいの汚染水「ベータ線を出す放射性物質濃度を1リットル当たり8000万ベクレルと公表していたが、実際は最大で約10倍の8億ベクレルに上る可能性も」福島民友ニュース2014/02/25 http://t.co/QAM54Qh0Bi

増える汚染水、処理後手 福島第一、高濃度の100トン漏出 配管弁操作ミスか「Tokyo Electric Power Co. said it suspects human error may be behind the leak of about 100 tons of highly radioactive water discovered Feb. 19 from a storage tank at the Fukushima No. 1 nuclear power plant.」朝日新聞デジタル2014/02/21 http://t.co/vFbTEAZdE9

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朝(あした)の旅


 ある夏の日の夜明けのことだ。
 その時分、ぶざまで気儘な野宿の旅の途上にあった私は、山深い村の端をながれる小川のほとりで、寝袋につつまれて眠っていた。寝袋は夜露にしめっていたが、いつしか野宿がなれっこになってしまっていた私は、静かな閑村のはずれの、ささやかな異物としての穏やかさのなかに、旅そのものの居心地の良さをおぼえてか、夢見ることもわすれ、ただただからだの休まるにまかせていた。その夏の日の夜明けの、ほんのひと時の裡(うち)に、私にとって生涯忘れえぬだろう出来事がおこる。
 それは、朝の光がしらじらと目蓋をたたくおとずれの手前の、夜という堆(うずたか)くつもる雪にも似た過去の世界が、いつしか消えはてて行くそのつらなりのさなかに、始まっていた。


 *


 アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson, 1859-1941)は、その処女論考『意識に直接与えられているものについての試論(L'Essai sur les données immédiates de la conscience, 1889)』のなかで次のように述べた。「自由に行動するとは、自己を取り戻すことであり、純粋持続の中にわが身を置き直すことである。」ここでいう〈純粋持続 durée pure〉あるいは文中において用いられた別の表現〈真の持続 durée réelle〉とは、どのような観念を表象することばなのか。

まったく純粋な持続とは自我が生きることに身をまかせ、現在の状態とそれに先行する諸状態とのあいだに境界を設けることを差しひかえる場合に、意識の諸状態がとる形態である。

時間と自由 (白水uブックス)

時間と自由 (白水uブックス)

 われわれの意識生活は、数の概念とユークリッド幾何学(「等質的空間の観念」)に依存した並置的な、物事を図式化して把えようとする思考様式から容易にはのがれることができない。ベルクソンは言う「数についてのあらゆるはっきりした観念は空間の中の視覚像(ヴィジョン)を含んでいる」と。事物、とりわけ時間について考えをめぐらす際にさえ、われわれはそれを幾何学空間の中に展開させて並置し、等質なものとして扱う。そこでは必然的に事象の量(大小・強弱等)が問題とされる。
 たとえば私は、ある人に心惹かれる感情と、その人への反発、その人のもつ重力から逃れようする心の動きと、どちらがどちらより強いのだろうか、と考えることで現状認識を試みようとすることがしばしばある。このような思考はもはや無意識のうちに幾何学的性格を具えてしまっていることが観てとれるだろう。ベルクソンはこのような認識を、質と量とを明確に区別することなく事象を数的にあつかうことから発した錯覚であると看做した(フランス語における質 qualitéと量 quantitéとは、その音素の比較からも判るようにある種の対応関係にあり、おそらくそれは日本語における語の関係性とは誤差があるだろう)。
 ある一つの感情について、量的な増減(ベルクソンは「延長 étendue」という語を用いて、量的な増減を、等質空間におけるひろがりと結び付ける)として把えられ考えられがちな現象を、その感情を支点(「継起 succession」)として持続する非等質な時間のなかで補追された無限数の筋肉運動によって生じる異質な感覚の〈重ね合わせ superposition〉であると把え、認識をあらためること、それはつまり、量子物理学の言に依れば「状態は確率でしか表現されえず、むしろさまざまな状態の重ね合わせである」ということだろうか。
 ドイツの理論物理学者ハイゼンベルグは、「不確定性原理 Uncertainty principle」によって、目にみえない微粒子の世界は等質的空間を前提とした幾何学的な観測を拒むことを示した。ハイゼンベルグと同時代に量子論の発展に寄与した仏人ドゥ・ブロイは、その著作『物質と光(Matiéreet lumiére,1938)』の中で不確定性原理について言及し、こう記している。

[粒子の]位置を厳密に決定しようとすればするほど、運動状態はますます不確定になる。また逆に粒子の運動状態が明確にきまるほど、[中略]粒子の位置は確定的に計算することが出来なくなる。

物質と光 (岩波文庫 青 926-1)

物質と光 (岩波文庫 青 926-1)

 人間の感覚と微粒子とは似かよった性質を有している、などと言うつもりではない。ただ、微粒子という不可視のものに対するとき理論物理学者があらわにする〈繊細の精神 Esprit de finésse〉を、われわれもまた感覚の領域、意識に直接与えられているものを観じる際に、心にとどめておきたい。
 感覚とは言語の枠に決して収まりきることのない、無量のものである。この、無量ということばは、計り知れない、はてしない、といった意の梵語amitaあるいはamidaの漢訳であり、仏典における阿弥陀の名号はその音に当て字がなされたもので「幸あるところの美しい光景」をあらわす、という。無量の感覚相互の関係性を〈重ね合わせ〉、つまり一つの〈生態系〉と呼びうるような、継起としての諸相をなしながら遷移を続ける異質的な感覚の相転移として把えること(ベルクソンは、冒頭に引用した純粋持続に関する文章を次のように継いでいく)「そのためには、移り行く感覚や観念の中に全面的に没入する必要はない。なぜなら、そのような場合には、反対に、自我は持続することをやめてしまうはずだからである。しかしまた先行する諸状態を忘れてしまうことも必要ではない。これらの諸状態を思い出す際に、自我はそれらを現在の状態に、ちょうど一つの点を他の点に並置するようなぐあいには並置することなく、あるメロディーの構成音をいわば一体となって融合したまま思い起こすときのように、先行する諸状態と現在の状態とを有機化すれば事足りるのである。」

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歌集『曠野集』より


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小説「にごりえ」に見る過渡期の日本文語

 言語は常に過渡期にある。過渡期の日本文語について考えてみようという本論の語り出しとしては身も蓋もない話ではあるが、現代においては忘れられがちな、忘れてはならない言語の本質と言えるだろう。
 一葉樋口夏子が小説「にごりえ」を仕上げたのは明治28(1895)年、同年9月20日発行の文藝雑誌『文藝倶楽部』第一巻第九編に掲載された。手元にある初出誌本文の復刻本をみると、題名は草書体の筆書で「尓ご里え(漢字部分は変体仮名)」、著者名は「一葉女史」、本文は一部変体仮名混じりの総ルビとなっている。

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樋口一葉集 (近代文学初出復刻 (1))

樋口一葉集 (近代文学初出復刻 (1))

 現代の眼からみるといくぶん奇異にも映るが、明治期、あるいは敗戦前の出版物は概して総ルビのものが多い。敗戦前の書籍は旧字旧仮名で読みにくいと思われている人が少なくないけれども、単に字を追って読むのみなら総ルビの本はとても読みやすく、現代の出版物よりある意味で親切なつくりとも言える。ただ、明治期の出版物を判読するうえで障害となりかねないものに、現代人にとって馴染みの薄い変体仮名がある。

変体仮名と活字

 変体仮名とは何かご存知でない方のために說明しておくと、現在一般に使われているひらがなカタカナ以外の仮名文字、いわゆる異体字の事だ。現行のひらがなやカタカナ同様漢字の形を崩して略体を作り、それを日本語の音に当てたものである。江戸時代以前はもちろんの事、明治期中頃までは出版物にも多く用いられ変体仮名の活版文字もあったほどだが、国を挙げての西欧化政策が進む明治期後半にかけて急速に減少、大正期に入るとほとんど見受けられなくなった。

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 小説「にごりえ」の初出誌本文にみられる変体仮名には、漢字に置き換えて仮に表すなら「八」「奈」「尓」「可」「志」等がある。変体仮名の「八」は「は」「奈」は「な」「尓」は「に」「可」は「か」「志」は「し」に相当する表音文字だが、同音の一般的ひらがなも併用されており、文脈や単語、あるいは筆者の書き癖などによって使い分けられているだろう事が知れる。
 変体仮名には一音につき三字から五字もの異体字がある。その使用については、特有の法則性があるものの、厳密な意味での規則は存在しないように思える。明治大正昭和と、国家の政策に沿うかたちで一律化された学校教育が行われる以前は、寺子屋や塾、家などの場でのより親密な教育が一般的であり、手習いとして教えられた読み書きに関しても、教え手それぞれの流派や独特の作法があり、結果として厳密さの希薄で多様な文語のありかたをもたらしていただろう事は想像に難くない。
 話を「にごりえ」に戻す。初出誌本文にみられる変体仮名は上に挙げた数文字程度のものだが、一葉自筆の原稿ではおそらく相当数の変体仮名が用いられていたものと考えられる。いま「にごりえ」の自筆原稿を見るすべがないため、根拠のひとつとして手元にある「たけくらべ」自筆原稿を参照してみるとしよう。

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廻れば大門の見返り柳いと長けれど、おはぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明暮れなしの車の往來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全勢をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三島神社の角を曲がりてより是れぞと見ゆる大廈(いゑ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋……

 上の引用文は「たけくらべ」初出誌本文のものだが、自筆原稿の変体仮名を漢字に置き換えてそのまま活字に起こすとすれば次のようになる。(変体仮名に置換した漢字の音は[ハ→は][王→わ][毛→も][ミ→み][可→か][者→は][尓→に][天→て]。ハ、ミはそれぞれカタカナとした。)

廻(ま王)れバ大門(おほ毛ん)の見返(ミ可へ)り柳いと長(な可゛)けれど、お歯(者)ぐろ溝(どぶ)に燈火うつる三階(可い)の騒(さ王)ぎも手尓取る如く、明けくれなしの車の往來(ゆきゝ)尓は可り知られぬ全勢をうら奈ひ天、大音寺前と名ハ佛くさけれど、さりとハ陽氣の町と住ミたる人の申き、三島神社(ミしまさま)の角(可ど)を末可゛りてより是れぞと見(ミ)ゆる大廈(いゑ)も奈く、可多ぶく軒端の十軒長屋(な可゛や)……

 つまり、こと一葉の小説に関しては出版社の編集方針、もしくは印刷の都合によって変体仮名をひらがなに置き換えられている場合が多く、自筆原稿においては変体仮名を常用する傾向にあった、と言う事ができる。これは近現代における文章と活字の関係を考えるうえで重要な問題であり、表記の簡略化の都合で、書き言葉から篩(ふる)い落とされてしまった感覚的所産をとりもどすための、一つの契機ともなりうるだろう。

句読点今昔

 一葉の小説を現代人にとって読みがたいものとさせている要因のひとつに、句読点がある。「にごりえ」もそうだが、一葉作品において句点は段落の終りにしかない。段落内において文章が終止形で終り内容として切れている場合にも、句点でなく読点で区切られる。例えば、「にごりえ」の主人公お力の容姿について書かれた次のような一文に顕著だ。

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粘菌漫録

 以前、家の庭につくっていた菜園で粘菌を見かけることがあった。ちょうど梅雨の時期で、雨が降り、一夜明けたら庭の菜園に粘菌の子実体ができていた。紀州田辺の南方熊楠顕彰館で見た標本そっくりのものが、腐植化しかけた枯葉からポコリ、ポコリと生えてきているのである。
 粘菌といえば、水木しげる氏の漫画にも登場する「大歳」が粘菌の変形体ではないのか、という話があり、興味深い。大歳は土中から突如出現する肉塊状の謎の生物で一名「肉霊芝」、食すと不老不死を得るとも言う。水木氏の漫画では、大歳に悪戯をしかけた氏が祟りにあってウンコ人間となり、終いには屁となって気化、昇天した。
 大歳の肉霊芝としての側面からは、諸星大二郎氏の名作『孔子暗黒伝』に登場した「視肉」が想い起こされる。視肉は餌を与えずとも自然に地の気をすって成長し増殖する肉塊状の家畜で、崑崙山にいるとされる伝説上の生物。傷付けても尽きることなく増殖すると言う。伝説上の、架空の生物とされているが、粘菌との関連を思うと興味は尽きない。

孔子暗黒伝 (集英社文庫―コミック版)

孔子暗黒伝 (集英社文庫―コミック版)

 話は糞尿に戻るが、ヒトとはモノを食べ、消化し、糞尿を排泄するモノである。極論すれば、いかに良いモノを食べ、良い糞尿を大地に還元できるかが生きている価値と喜びの大半だと言える。排泄された糞尿を下水を通して集め、焼却埋立て処理している現在は狂氣の世界であろう。エコロジー云々をどれだけ言っても、まずはここを改善しておかないと先がない。森で大便してみれば解る。
 森の木陰にしゃがみこんで、一人ひっそりと大便する時の、あの歓び。木の葉を掻きわけ、穴をほってホカホカの大便を落としこむと、それを嗅ぎつけた銀蝿や小さな甲虫が嬉々として飛来し、食事をはじめる。同時に、その場の小さきものども全てが欣喜雀躍して便を分解しだす。生の歓びは、そこにこそある。
 と、うんこについて熱く語ってみる。畑づくりなども、本質はここにあるのだと思う。自分も自然に組み込まれた分解者のひとりなのだ、ということを忘れてはいけない。水洗便所と下水、ゴミ焼却場と埋立て処理場、この一連の流れがわれわれの生の歓びを奪いスポイルする一大装置である事を、ゆめゆめ見失う勿れ。

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子ども、多品種混植、人力生活演奏機、農藝暦





Homo rehabilis――旅する獣

 ヒトが本質的に「旅をする獣」であることは、その歴史と身体的特質が物語っている。長距離を移動しうる二本の足と、海をも越えて旅を続ける為の道具をつくり、山野の獣を屠り、木の実を拾い集め旅の糧とすることを可能にした器用な両の手。ヒトはいつでも深く根をはった大樹に憧れ、定住を夢見た。
 かつて古のヒトらが夢見た定住の暮らしは、今ではあたかも当たり前の事のようだが、ヒトが「旅する獣」である本質は変わっていない。危機を逃れ、樂土を夢見て旅することを自ら選び取った奇妙な動物である僕らが、かりそめの夢の中それを忘れてしまった時、悲劇は起こる。定住はいまだ叶わぬ遠い夢、なのではないだろうか。
 退屈な日常、という奇妙で病的な幻想の霧が晴れて、野生のからだを取り戻せば、何の事はない、世界は危険と希望ときどき絶望に充ちていて退屈する要素などどこにもない。初めから、終わりまで。「私の住んでいる場所は安全なはず」という感覚は、私は平凡、人生は退屈、そんな錯覚に支えられている。

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