野ざらし日記

編緝出版×農藝全般「あらたま⦿農藝舎」主人・根津耕昌のblogです。

Pandora note #2 放射能泉入湯体験記

 2013年の秋冬に、広島で滞在させてもらっていたパートナーの実家(的な場所)のお風呂がいわゆる天然の放射能泉で、漠然とした不安から入るのを避けていたのだが、天然放射線は人体に有害なのか、そうでもないのか、身をもって実験してみた感想をここに書き残しておこう(風呂に全く入らないのもアレだったので)。
 天然核種でも人工核種でも、原子核崩壊をした元素から放射される放射線は同一のものであり、人体には有害だから避けたほうが良い、という京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏や映画監督・鎌仲ひとみさんらの意見と、天然放射線には免疫力を高める効果(ホルミシス効果)もある、天然放射能泉や放射性物質を含む鉱物はからだに良い、という一部の意見がくいちがっていて、結局どうなのかわからない。
 いわゆるラジウム温泉に含有されるところの、ウラン238から鉛206へと至る放射性物質の崩壊系統は、α崩壊かβ崩壊をする希ガスが多く、原発事故由来のセシウムストロンチウムのように人体に蓄積される危険は少ない、とも言われる。が、危険だとも言われている。科学論文においても両極の意見が常にとびかっている。
 東京電力福島第一原発の事故以後、むしろ積極的に天然放射能泉に入浴しているという友人は、人並み外れて健康な人物であり、天然放射能泉はからだに良いという意見も「非科学的!」と無下に一蹴できるものではない、とはおもう。科学はいまだ発展途上で、その友人はとても元氣な人だから。

実際の感想

 というわけで、放射能泉に入ってみた実感を書く。若干金属的な舌触りの感じられるさらっとした印象のお湯で、小一時間ほどのんびり湯船に浸かり温まっていると、途中、ちからが抜けてぐったりする時間帯があった。入ったあとは、入る前よりもからだの調子が良くなったようにも感じられたが、それが放射線による影響なのか、温泉の温浴効果によるものなのかは、判別がつかない。何よりこの当時あまり風呂に入っていなかったから、体が冷えている。
 入浴直後の体調は、どちらかといえば良好だったものの、原発事故後食事に氣を使わなかった時期に体験したのと同様の「記憶力の低下」が起こった。車の鍵をかけているのにかけた事に自信が持てず、何度も確認しに戻る。短時間のことだが、記憶に不安を覚えた。
 今回の漠然とした実験では、天然放射能泉に入浴すると体調は改善されるが、若干の記憶力低下が発生する、という結果が導き出された、とも考えられる。記憶力低下の時間は短く、体調はわるくはないので、リスク管理的にどうなのか、可とも不可とも言いがたい印象。この後何度か入湯を重ねた感触では、放射能泉の放射線が脳に何かしら影響を与えてるっぽい、とだけは言えそうだ。

脳と内部被曝

 原発事故後の一年間、私は今ほど事態を深刻に捉えてはおらず、関東東北に旅行に出かけたり、京都なら問題ないだろうとチェーン店のレストランで食事をしたりしていた。
 2011年の夏以降、なぜだか物忘れが異常に激しくなり、玄関の鍵を何度閉めても閉めたことに自信が持てず、鍵がかかっているかどうか何度も見に帰る、という出来事が続いた。当時は鬱氣味だったこともあり、そのせいだと思っていた。
 とある縁あって原発事故とそれによる環境汚染の深刻さを知り、2012年の4月から食事を完全に切り替えた。海産物、乳製品、動物性食材、スーパーに売っている農薬・化学肥料で育った野菜、危険性の高い可能性がある外食等を一切無くして一・二ヶ月したら、それまでの物忘れがスッとなくなった。
 あの異常な物忘れは、脳の被曝症状だったと思っている。
 上にあげた友人のように、原発事故由来の人工放射性物質による内部被曝をできるだけ避け、手に入るかぎりの健全な食材を、最良の調理法でつくった食事を毎日ありがたくいただき、早寝早起きからだをよくうごかして生活している人にとっては、天然放射能泉による影響がプラスに働く事も、もしかしたらあるのかもしれない。
 逆にいえば、外部被曝内部被曝もあまり氣にかけず、何を原料に、どこでどう作られたか得体の知れないものばかり食べて不健全な生活を送っている人にとっては、脳への影響を考えるとあまりおすすめできないかもしれない、と感じた。
 以上はごく個人の体感で、誰かが何かを選択する際の参考になるかもしれない、そんな程度の報告です。おのおのからだの感じる違和感を大切に、逐一体感で確かめながら生活していきたいものです。

(続きは↓のnoteにて公開中です。)


Pandora note #2|根津耕昌/Kousuke Nezu|note

お役立ち情報Tweetまとめ





「夢色米」――多品種混植自然栽培米の世界

※この原稿は、京都の菜食レストラン「Vegans Cafe & Restaurant」のメニュー用に作成した記事を改稿したものです。

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 京都府南丹市里山で「丹波ハピー農園」を営む堀さんの「夢色米」は、ひと味も二味もちがう貴重なお米だ。
 種籾の準備、春の苗作りから秋の収穫調整まで、除草剤、殺菌剤、殺虫剤など一切の農薬を用いず、くわえて有機質肥料も使わない自然な栽培法を実践されている農家さんたちのなかにあって、堀さんの育てたお米には類をみない豊かさ、あたたかさがある。 その違いは、どこにあるのだろう。

いのちの多様性

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テクストとイメージ――江戸の読本にみるライトノベルの系譜

「読本(よみほん)」とは江戸時代に行われた文藝形式の一つで、その名の通り文章中心の読み物、とりわけ中国伝奇小説を下地に翻案、創意を凝らした物語の事をいう。戯作の名で纏められる江戸の出版物の代表格であり、絵草紙、絵本ともよばれた「草双紙(くさぞうし)」とは対照的なジャンルである。
 草双紙は視て愉しむ事を中心に据えた木版摺りの娯楽本で、絵師の原画を写した木版画の余白にひらがなの多い説明文をそえてあり、低年齢向けの出版物として始まった事から感覚的には現代の漫画に近い。絵師が文筆者を兼ねる事も少なくなく、その点も漫画に似ている。

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草双紙(黄表紙)『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』恋川春町(こいかわはるまち) 作画。安永4年(1775)刊。

 他方読本は当時の知識人層が古典的、舶来的蘊蓄をかたむけた衒学的著作に始まり、読み物としてより純度が高く且つ高価なものであったが、何より出版物であり、売るための娯楽性、話題性を版元が追求しただろう事もあって、後期読本は人気絵師の手による挿画を抜きには語りえない。

絵師と物書きの力学

 文化五年(1808)の出版とされる『斐陀匠物語(ひだのたくみものがたり)』(六樹園飯盛・著/葛飾北齋・画)を例にとれば、著者の六樹園飯盛、本名・石川雅望(いしかわまさもち, 1754-1830)は国学研究者、狂歌師として名をなしていたものの戯作者として人氣があったわけでもない為か、版元に請われてかどうか序文に自らこう記している。

かゝる書(ふみ)つくり出でんは、おとなげなくあいなき人まねこそとて、たびたび人のそゞのかしつれど、うけひかでやみにしを、此ごろ北齋のぬしふりはへとぶらひ来て、せちにすゝめ物せらるゝに云々

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Homo rehabilis――終わらないダンス


 こどもの声を聴くこと。こどものからだの声を聴くこと。大事なものは、すべてそなえて生まれてきている。
 とりかえしのつかないあの事故が起こり、僕らをつつみこむ環境が日毎夜毎に大きな変化を遂げつつあるこれからのこどもは、状況に適応して生まれてくるから大丈夫、という人がいる。僕は非科学的な進化論を信じないし、ヒトが新しい次元に進む、なんて話にもうんざりさせられる。そうじゃなくて、この世にいる誰もが大事なものはもう身につけて生まれてきていて、それに氣づくかどうか。それをこどもが教えてくれる。
 仏陀が生まれてすぐに天と地を指さし「天上天下唯我独尊」と唱えた、という伝説は、彼がこの世の誰より偉大な一人であったという意でなく、世に生まれおちるすべてのこどもが、それぞれに偉大なものをすでに身にそなえているのだ、私もその一人だ、との謂いではないか、とふと思う。
 赤子はからだのすみずみにまで感覚を張りめぐらせ、両の手と足、すべての指、波打つ背骨とそれに列なる骨という骨をうねらせながらダンスを躍る。時に天と地を指さし、すべての骨と骨、筋と筋、肉と肉を巧みに連動させながら恍惚とした表情でこどもは躍り、からだのなかのすべての場所を鼓舞し、死のいざないを撥ねのけ、未来に向けて変化していく。それはヒトがもってうまれた根源的な舞踏の姿で、いまという時を無心に褒めたたえる生命の賛歌だ。
 僕らは誰もが不可思議な舞いをおどる舞踏家として生まれ、日常のふとした瞬間、連続的な意識にぽっかりとあいた隙間を縫ってこの奇妙な踊りをおどっている。悲しみのなかで身を震わせて嗚咽し、苦しみのなかでからだをねじらせ、不規則な吐息をはく。すべてのうごきはいつか歓びに通じる。誰にもならうことのない生命のダンスを、自分自身それと氣づくことなく断続的に舞い、ヒト科ヒト属の動物である僕らはいまも死のいざないを撥ねのけ、未来に向けて変化をつづけている。

(続きは↓のnoteで公開中です。)

Pandora note #1 魚を食べること、 そしてそれぞれの想い。

 東京電力福島第一原発の事故以来、私は魚介類をなるべく食べないようにしています。海洋性の魚類、貝類、海藻類など海で採れる食材は基本的に家では調理しませんし、外で食べなければならない雰囲氣になった時は「ベジタリアンなので」などと濁すことで摂取を避けています。
 これは「Pandora note #0」で引用したように、日本近海から太平洋全体に及ぶ放射性物質による海洋汚染は未曾有の事態であり、環境や私たちのからだに対してどのような影響があるのか、結果のみえていない現実にできる対応として、否応のないものだからです。
 ここで、これを読まれている方に向けて「魚を食べるな」と言いたいのではありません。むしろおのおのが自分で考えて判断を下したうえで、どんな基準で魚介類や肉、乳製品などを口にしているのか、それを知りたい思いがあるのです。それぞれの想いを知りたい。

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本朝幻想文学『斐陀匠物語』潤訳版

六樹園飯盛・作
根津耕昌・潤訳

六樹園飯盛、本名・石川雅望(いしかわまさもち, 1754-1830)は、江戸時代後期の戯作者。狂歌師、国文学者として知られる。通称石川五郎兵衛、号は「六樹園」「五老山人」等、狂名は「宿屋飯盛」。家業の宿屋を営むかたわら狂歌国学研究、戯作、随筆等の執筆にいそしんだ。


本書『斐陀匠物語(ひだのたくみものがたり)』の刊行は文化5年(1808、文化6年との説も)。挿画は葛飾北齋、全14回6巻6冊。書名は本来「斐[阝+色]匠物語」あるいは「飛騨匠物語」「斐騨匠物語」と書かれる。


「潤訳」にあたっては『読本集(日本名著全集/江戸文藝之部)』(昭和2年刊)を主な底本とし、原文を尊重した訳をなしつつ適宜潤色を加え、現代の読者に読みやすかるべく努めた。直訳で無い旨ご理解の上、どうぞお愉しみあれ。

第一段○すみなわ 墨縄が匠の道に修練せる事


 「斐陀の匠」とは一人の人物を言うものではない。
 いにしへの昔、飛騨の国からは庸調をもって税を納めず、「匠丁」とよばれるすぐれた木工を里ごとに十人ずつ出(いだ)し、かしこくも公的造営の任をつとめ国の営みとしていた。貞観の頃には飛騨一国より百人が召し上げられ、内裏の要たる朝堂院、帝の禁苑なる神泉苑など造営せられた事、国史に記載されて詳しい。
 さて、作者今ここに筆をとりたるは、あまたある飛騨の名工どものなかに、機巧(からくり)細工の妙技だれよりもすぐれ、その技術神に通じ、天地造化の不可思議、自然複雑の神妙なる世界を鑿(のみ)にて彫刻むその手業(てわざ)、木っ端を鳥、板を馬にといのちを与え一世の人びとを驚かせた、或る名匠の物語である。

機巧(からくり)の若き匠

 その時代ははっきりと聞き傳わっていない。
 飛鳥奈良平安の御代の、いずれの帝の御宇(ぎょう)であられたか、斐陀の国に猪名部墨縄(いなべのすみなわ)という男があった。この男、はやくに父母を亡くし、それよりただ独りにて生活していた。飛騨の国人の例に漏れず、田を耕し、地を耘(くさぎ)る春秋の暮らしのいとまに、鋸(のこ)と鑿(のみ)とを手にひたすら木工の技藝を磨いてあったが、その技術人にすぐれ、仕上がり美麗この上なければ、先達の老工どもことごとく感服し「墨縄こそまことの良工である」と口々に褒め称えるほどになる。そののちも墨縄ますます心怠ることなく修練にはげみ、今では並ぶ者のないこの道の祖(おや)となった。

 墨縄が木にて雄鶏をつくれば、生きたる雄鶏これを見て両翼をひろげ飛びかかり、鑿(のみ)にて鼠を作りなせば、猫これを追いかけ、生ける如くに捕らえ弄ぶなど、さまざまに神妙不可思議なる事起これば、遠く近くだれもがその技藝を慕い、調度の品、珍奇なる玩弄物など誂えさせんと欲する者ども集いて、門前に市をなす賑わいであった。けれども墨縄は、心の素直でない者、権勢を傘に作らせんとする者にはまともに応対すらせず、貧しき人、老いたる人などが乞いねがう声には、願いのままに作り与えたものであった。

郡司紀武俊の蛮行

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