野ざらし日記

編緝出版×農藝全般「あらたま⦿農藝舎」主人・根津耕昌のblogです。

小説「にごりえ」に見る過渡期の日本文語

 言語は常に過渡期にある。過渡期の日本文語について考えてみようという本論の語り出しとしては身も蓋もない話ではあるが、現代においては忘れられがちな、忘れてはならない言語の本質と言えるだろう。
 一葉樋口夏子が小説「にごりえ」を仕上げたのは明治28(1895)年、同年9月20日発行の文藝雑誌『文藝倶楽部』第一巻第九編に掲載された。手元にある初出誌本文の復刻本をみると、題名は草書体の筆書で「尓ご里え(漢字部分は変体仮名)」、著者名は「一葉女史」、本文は一部変体仮名混じりの総ルビとなっている。

f:id:aranono:20150110180134j:plain

樋口一葉集 (近代文学初出復刻 (1))

樋口一葉集 (近代文学初出復刻 (1))

 現代の眼からみるといくぶん奇異にも映るが、明治期、あるいは敗戦前の出版物は概して総ルビのものが多い。敗戦前の書籍は旧字旧仮名で読みにくいと思われている人が少なくないけれども、単に字を追って読むのみなら総ルビの本はとても読みやすく、現代の出版物よりある意味で親切なつくりとも言える。ただ、明治期の出版物を判読するうえで障害となりかねないものに、現代人にとって馴染みの薄い変体仮名がある。

変体仮名と活字

 変体仮名とは何かご存知でない方のために說明しておくと、現在一般に使われているひらがなカタカナ以外の仮名文字、いわゆる異体字の事だ。現行のひらがなやカタカナ同様漢字の形を崩して略体を作り、それを日本語の音に当てたものである。江戸時代以前はもちろんの事、明治期中頃までは出版物にも多く用いられ変体仮名の活版文字もあったほどだが、国を挙げての西欧化政策が進む明治期後半にかけて急速に減少、大正期に入るとほとんど見受けられなくなった。

f:id:aranono:20150110180208j:plain

 小説「にごりえ」の初出誌本文にみられる変体仮名には、漢字に置き換えて仮に表すなら「八」「奈」「尓」「可」「志」等がある。変体仮名の「八」は「は」「奈」は「な」「尓」は「に」「可」は「か」「志」は「し」に相当する表音文字だが、同音の一般的ひらがなも併用されており、文脈や単語、あるいは筆者の書き癖などによって使い分けられているだろう事が知れる。
 変体仮名には一音につき三字から五字もの異体字がある。その使用については、特有の法則性があるものの、厳密な意味での規則は存在しないように思える。明治大正昭和と、国家の政策に沿うかたちで一律化された学校教育が行われる以前は、寺子屋や塾、家などの場でのより親密な教育が一般的であり、手習いとして教えられた読み書きに関しても、教え手それぞれの流派や独特の作法があり、結果として厳密さの希薄で多様な文語のありかたをもたらしていただろう事は想像に難くない。
 話を「にごりえ」に戻す。初出誌本文にみられる変体仮名は上に挙げた数文字程度のものだが、一葉自筆の原稿ではおそらく相当数の変体仮名が用いられていたものと考えられる。いま「にごりえ」の自筆原稿を見るすべがないため、根拠のひとつとして手元にある「たけくらべ」自筆原稿を参照してみるとしよう。

f:id:aranono:20150110180240j:plain

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、おはぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明暮れなしの車の往來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全勢をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三島神社の角を曲がりてより是れぞと見ゆる大廈(いゑ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋……

 上の引用文は「たけくらべ」初出誌本文のものだが、自筆原稿の変体仮名を漢字に置き換えてそのまま活字に起こすとすれば次のようになる。(変体仮名に置換した漢字の音は[ハ→は][王→わ][毛→も][ミ→み][可→か][者→は][尓→に][天→て]。ハ、ミはそれぞれカタカナとした。)

廻(ま王)れバ大門(おほ毛ん)の見返(ミ可へ)り柳いと長(な可゛)けれど、お歯(者)ぐろ溝(どぶ)に燈火うつる三階(可い)の騒(さ王)ぎも手尓取る如く、明けくれなしの車の往來(ゆきゝ)尓は可り知られぬ全勢をうら奈ひ天、大音寺前と名ハ佛くさけれど、さりとハ陽氣の町と住ミたる人の申き、三島神社(ミしまさま)の角(可ど)を末可゛りてより是れぞと見(ミ)ゆる大廈(いゑ)も奈く、可多ぶく軒端の十軒長屋(な可゛や)……

 つまり、こと一葉の小説に関しては出版社の編集方針、もしくは印刷の都合によって変体仮名をひらがなに置き換えられている場合が多く、自筆原稿においては変体仮名を常用する傾向にあった、と言う事ができる。これは近現代における文章と活字の関係を考えるうえで重要な問題であり、表記の簡略化の都合で、書き言葉から篩(ふる)い落とされてしまった感覚的所産をとりもどすための、一つの契機ともなりうるだろう。

句読点今昔

 一葉の小説を現代人にとって読みがたいものとさせている要因のひとつに、句読点がある。「にごりえ」もそうだが、一葉作品において句点は段落の終りにしかない。段落内において文章が終止形で終り内容として切れている場合にも、句点でなく読点で区切られる。例えば、「にごりえ」の主人公お力の容姿について書かれた次のような一文に顕著だ。

(続きは↓のnoteで公開中です。)

copyright(c)Kousuke NEZU all rights reserved.