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野ざらし日記

編緝出版×農藝全般「あらたま⦿農藝舎」主人・根津耕昌のblogです。

農と平和「遠い挿話」――イラン・イラク、千夜一夜の幻想をぬけて


 イスラム教という一つの名のもとに語られている、1980年からのイラン・イラク戦争、1990・91年の湾岸戦争、2003年からのイラク戦争へと至る道筋の上で、二つの重要な事件が起こった。一つはイランにおける「イスラム革命」、いま一つはイラクで起きたもので「バアス党革命」と呼ばれている。

イランの「イスラム革命

 1979年、フランスのパリに亡命していたアヤトラ・ルホラ・ホメイニ(Āyatollāh Rūhollāh Khomeinī, 1902-1989。イスラム教シーア派に属する宗教指導者。イスラム教にはシーア派スンニー派があるがイランにおいては前者が圧倒的多数である)の帰国により反政府的な市民勢力が蜂起、国王軍の主要基地を占拠しようとした。それにより、以前から対立のあった陸軍と空軍の亀裂が表面化、混乱・分裂をまねき、陸軍は基地内の武器・弾薬を市民勢力の手に開放、政権はモハメド・レザ・シャー・パーレビ国王(Mohammad Rezā Shāh Pahlavi, 1919-1980。1975までクルド人を支援)からホメイニの手に移り、イラン帝国イラン・イスラム共和国となった。この政変をうけて、パーレビ国王はアメリカ合衆国に亡命。革命以後、パーレビ時代の高官を含む623人が革命裁判によって処刑されている。この革命は、政治と宗教は別物であるという考え方が自明のものであった西側諸国にとって、非常に衝撃的な出来事であったという。
 この直後、イランの学生たちがテヘランにある米国大使館を襲撃、人質をとって立て篭もり、NYに亡命中のパーレビ元国王の身柄引き渡しを要求した。これは国際法違反であるが、ホメイニもこの行動を支持。それに対して米国はイランからの原油輸入の全面停止を発表した。同日、イラン側も米国への石油輸出を停止、折からの世界的な石油消費量の増大と生産量の伸び悩みもあり、世界の市場は混乱、石油価格は過去最高を記録した。これが「第二次オイルショック」である。

イラクの「バアス党革命」

 イラン帝国の支配勢力はスンニー派だが、人口のほぼ半数はシーア派であったため、国民の過半数がシーア派であるイラク共和国政府はイランの動向に神経を尖らせていた。当然、イランの「イスラム革命」を受けてイラク国内の勢力地図は動揺し始める。イラク革命評議会副議長、同時にバアス党副書記長でもあったサダム・フセイン・アル=ティクリチ(Saddam Husayn Abd al-Majid al-Tikriti, 1937-2006)が、大統領・革命評議会議長であるアフマド・ハッサン・アル=バクル将軍(Ahmed Hassan al-Bakr, 1914-1982)に対し、バアス党及び政府首脳部に浸透している「反逆者の一団」の死刑を承認するよう要求。アル=バクルはそれを拒否し、老齢による病氣を理由に大統領職を辞任、フセインがその後任の座に就いた。
 このように、1979年にイランとイラクで起こった二つの事件はともに「革命」と呼ばれているが、その内実は全くと言ってよいほど異なっている。
 これ以後、イランはイスラム原理主義聖典コーランに基づく伝統回帰)の宗教国家となったわけだが、イラクは同じイスラム国家ではあっても資本主義経済に根ざした西欧的生活スタイルを求め、石油輸出にその経済を依存させてゆく。それはイラク国内の他の産業、とりわけ農業を衰退させることでもあった。

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農と平和「遠い挿話」――イラン・イラク、千夜一夜の幻想をぬけて|根津耕昌/Kousuke Nezu|note

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